門司港のバナナマンのまちづくり、商店街活性化の奮闘記。関門海峡、門司港で、戦後闇市として開設されて以来、門司港の飲食店や庶民の食材市場として存続してきた「小原市場」。新興観光地と隣接しながら取り残されつつある市場は、衰退からの脱却ができるのか?。

2009年09月25日

4人の若者

「やっぱり何かせんとですね・・・」

「そうですね。」

「おれたちでなんかしませんか?」

「いろいろやれることあると思うんですよ。」

何かが、動き始める時というのは、誰ともなく、そのような声が上がるものである。

小原市場テナントには、その道何十年のベテランもいれば、最近新規で店を出した若者もいる。親父の後継ぎとして、店を手伝っているものもいれば、何店舗も直営店を持つ会社の店長もいる。そして、それぞれの商売に対する思いも、それぞれだ。

今まで一生懸命働いてきて、もうそろそろ引退しようか。でも、この仕事を辞めれば、ボケるかも知れないとおもって、仕事を続ける人もいるかもしれないし、ここで一旗あげて、もう一店舗出店したいと思う人もいるかもしれない。

バリバリやりたい人は、何か仕掛けて、繁盛する市場にしたいし、余生を楽しみたい人は、あまり面倒なことはしなくて、このまま静かに商売を続けたい。そしてどちらも、商売人として、また自分の人生のかじ取りとして間違っていないと思う。

商店街は、大きな賑わいを作り、それぞれの店が繁盛すべきである。もっともな意見だか、そんなこと望んでない人たちにとっては、「いらぬお世話」の大迷惑な話だ。しかし、やはり商売人として、「もっと儲けたい、成長させたい」という人が、一人でもいるのなら、共同体として協力し合うのが大切なことではないかと思う。

商店街というのは、そこに集う商売人にとって、とても夢のある場所だ。多くの商店街は、そのほとんどが以前繁栄していたものであり、そして幼いころの記憶として、その商店街の勢いを残している。

「いつかは、おれも、お子商店街に店を出して・・・」

そのように夢を持っていた人も多いのではないか?今、どんなにさびれていても、やっぱり昔の思い出に起因する憧れというか、ブランドイメージというか、何か心をくすぐるものである。なんといっても「天下の○○市場」である。

しかし、実際に店を出してみると、その現実に「がっかり」したりする。

私自身、さてこの商店街で、いまから何をしようか?とにかく、自分の店が、しっかりと売れるように、そしてもし伸びないのであれば、さっさと退店してなどと、思っていたその矢先、何のタイミングか、「やりましょうや」という声が上がる。

声を上げたのは、小原市場の私を含めた若者4人組である。(といっても、私はすでに若者の歳を脱していると思いますが・・・)しかし、今まで、この4人が仲良く話などしたこともなければ、はっきりいって、疎遠な存在であった。やっぱり、物事というのは必然的なタイミングというものがあるんだろ思う。そんなにお互いを知るわけでもない4人が、突如として、何かを始めようとしだす。

そして、ほんの数日前には考えられなかったような勢いで、小原市場が動き出した。

まずは、10月のイベントだ。

何か、イベントをやろう。とにかくチャレンジ!失敗してもいいから、とにかく何かを変えるために、私たちに任せてもらって、試し続けよう。

昔の小原市場のにぎわいを取り戻すために・・・

「門司港マルシェ!グルメ小原市場で遊ぼう!」



Posted by 門司港のバナナマン at 12:42│Comments(1)
この記事へのコメント
ちなみに私、早生まれで社長と同級生でした。
違うところは、社長は、早大で、天才!
私は3流以下のバカ大!
しかし社長の一生懸命さに感銘しています。
どこまでもついていきますよ!!微力ですが
がんばります宜しくお願いします。
Posted by 私も若者? at 2009年09月26日 12:17
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